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ロンジンの物語

 

ロンジン ブランドの誕生

 

ロンジンは1832年にスイスのサンティミエにてオーギュスト・アガシが

時計製造販売会社の共同経営者に就任したことによって始まった時計ブランドです。

懐中時計の製造技術に長けていたロンジンはアガシ家の親族がいたアメリカを中心に、

スイス国内、パリに至るまで自社製品の展開を推し進めます。

ブランドとしての全盛期は19世紀後半から20世紀前半。

1867年に「レ・ロンジン」と呼ばれる工場を建設し、

同年のパリ万国博覧会では銅メダル受賞します。

勢いにのったロンジンは近代的な製造方法にて懐中時計を量産し、

1929年のバルセロナ万国博覧会までに通算10回のグランプリに輝きました。

最終的には歴代万博で合計28個の金メダルを獲得し、

「最も受賞数の多いブランド」としての名誉を獲得します。

当時の時計界における知名度は現代のロレックスに匹敵するほどであり、

誰もが知る時計ブランドとしての名声を獲得しました。

 

ロンジンの象徴、「翼をもつ砂時計」のロゴ

 

ロンジンが作り上げる時計には文字盤に翼を持つ砂時計のロゴが配されています。

このロゴは製造工場が建てられた1867年以降のモデルから採用されています。

ロンジンのブランド名とともに1889年に商標登録され、

世界知的所有権機関(WIPO)に登録されている中では最も古いものとしても知られています。

 

 

 

 

 

パイロットウォッチの雄として名声を高める

 

1919年にロンジンは国際航空連盟に公式認定され、

空のパイオニア専用の時計の製造に取り掛かります。

1931年にはアワーアングル・ウォッチを、

1935年にはロンジンウィームスセコンドセッティング機構を開発。

さらに1936年にはフライバッククロノグラフ、

1939年にはスプリットセコンドを搭載した自社ムーブメントを次々と打ち出していきます。

いずれもパイロットウォッチ用に開発されたものであり、

20世紀前半のロンジンはパイロットウォッチの雄として、

世界中から称賛される存在であったといっても過言ではありません。

 

 

 

 

 

現在の立ち位置

高級時計においてトップクラスの知名度と人気を誇っていたロンジンですが、

現代においてはロレックス・オメガ・タグホイヤーといったブランドに

その地位を明け渡しています。そうなった理由は1980年代に起こったクォーツショックが原因です。

クォーツショックはセイコーが水晶の振動によって正確な時を刻む

クォーツムーブメントを開発したことにより、

それまでの機械式時計の存在理由を大きく覆してしまった出来事です。

現代社会において、クォーツムーブメントを使用している時計は97%程。

つまり、機械式時計の需要は3%程となっています。

この事実が示すように、クォーツムーブメントの開発は機械式時計を

実用的なモノから趣味性の高いモノに変えてしまいました。

無論スイスの時計業界はこの出来事により大打撃を受け、

ごく一部の有名ブランドを残して休眠・倒産が相次ぎます。

パイロットウォッチの雄として名声を博したロンジンも倒産こそ免れましたが、

大幅に規模縮小を余儀なくされ、1983年には現在の時計界の最大勢力

スウォッチグループに買収され、グループ企業の一員となりました。

 

 

 

 

グループ内の役割

 

スウォッチグループはカジュアルウォッチ分野と高級時計分野どちらにおいても

優れた功績を持つグループですが、現在のロンジンは高級時計の

リーズナブルな価格帯を担うブランドです。

スウォッチグループはパネライやIWCを傘下とするリシュモングループよりも

「グループ内での役割をハッキリさせる傾向」があるため、

ブランドごとに狙う層が決まっています。高級路線のブレゲ、ブランパン。

一段下がってジャケドロー、グラスヒュッテオリジナル。

そして、オメガ・ロンジン、さらにはハミルトンと続きます。

高級モデルを製造しなくなったことから、

ロンジンの技術力は失われたと思われがちですが、

そうではなく実はスウォッチグループの戦略に依るところが大きいのです。

 

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